Nammba’s page

50代。ジャンルこだわらず徒然日記。翻弄される日々の記録。

スマホが手に入らない

新しいスマホがほしい、と思い始めて長いこと経つ。

欲しい欲しいと思いながら様子をみた。まあまだいっか…。

これだいたい失敗パターン。今ほしいものは今買わなくてはいけない。

 

iphoneを使い出して8年たつが、最初の端末はとても気に入っていた。バッテリーが寿命に近づいたなと感じるまで4年かかった。

スマホを4年使う人はあまりいないと思うので、「わたしは使い切った!」「えらい!」と、勝手に成功体験にしてしまった。

それから2年後、すでに初代iphoneほどの愛は感じなくなり、惰性で使い続けるうちに、子供がスマホをほしがる年ごろになってお金もかかってくる。自分のスマホは買い替えお預け状態になった。

お預けのまま、決断できなかった理由はいろいろある。

値段のこととか、iphoneやめてandroidスマホを使ってみたいとか、やっぱりiphoneの慣れも捨てがたいとか、乗り換えはお得だとか面倒だ、とか、考えがあっちこっちにいった。

そのうちに時は過ぎ、4年使用という前回の記録を破りたくなってきた。

大丈夫、まだまだいける。行けるところまでいこうじゃないか。

(決断するよりそのままのほうが楽)

かくして2代目iphoneは4年以上生き延び、記録を更新した。

さすがにもういいんじゃない…?

もういい、決してテクノロジーに詳しいわけではないけど、やっぱり新しいもの、今までと違うものを試してみたいもの。

でも、携帯ショップに行っても、電気店に行っても、おめあてのスマホ(中国メーカー製)は在庫がないと言われてしまう。

なんてこった。満を持して買い替えようっていうのに、そう決めたころには製品がないなんて(-_-;)

わたしのiphoneはもうご老人だ。いつポックリいってもおかしくないのだ(-_-;)

今思えば、買い替えたいと思った2年前が買い替えるべきタイミングだった。

いちおう電気店に入荷待ち予約をいれ、ほんとうに入荷するんだろうかと半信半疑のまま待っている。多少の不具合はあるが、2代目iphoneはまだ壊れずに記録更新中。

 

中学生恋愛事情

昨日、対面営業は恋愛と同じだと書いた。

サブスクのように簡単に断れない、といったようなことも書いた。

でもこれは時代錯誤だったかもしれない。

 

nammba.hatenablog.com

 

というのも、わが息子から聞くレイワの中学生の恋愛事情がすごい。

おそろしいほど展開が早い、あっさり系なのである。

今どきの中学生(もしかしたら小学生も)、彼氏、彼女、あたりまえ。クラスの半分くらいは交際中だという。

交際期間も短く、つきあった翌日別れる、という話もよくある。

そしてすぐ次の彼氏・彼女が見つかる。

おそろいのネックレスなんかしちゃってる、と思ってたら、こないだ別れたよ、といった具合である。

校内は元カレ元カノだらけ。中には元カレ6人という子も。

「お前、あいつと別れたって? じゃあ、俺いくわー」って。

そして、SNSが大活躍。告白された(もちろんSNS)際の画面をスクショ(後で共有?)。リアルタイムで居場所も共有。

SNSで知り合った他校の子とつきあう、というパターンも聞く。親御さん心配じゃないのかしら?と心配になる。中学生用のマッチングアプリでもあるんかい?

日常茶飯事だから、当然、別れてもダメージはない。もはや「失恋」という概念はない。

その時の気持ちに正直と言えばいいのだろうか? 恋愛も風に吹かれるかんじ。 吹かれてないと痛いから? 昨日はもう過去なのである。

 

この恋愛観、サブスクっぽいよね? 

お試し、楽しむ、解約、乗り換え、シェア、etc...

こんな恋愛してる人たちに、ネバネバした対面営業なんて有り得ないと思った。

だって通じないよね。この人たちに何か売ろうと思ったら違うやり方を考えるしかない。

わたしら世代だからネバネバ営業を仕掛けられるんだろうな。恋愛が変わればセールスも変わるのだ。若者世代がうらやましい限りである。

 

この世代もいつか本気の恋とかするんだろうか? 

中学生はSNSだけじゃなく、しっかりデートもする。実に楽しそう。

しかし、よその子ではあっても、どうか深い交際を繰り返したりはしないでおくれ。

 

タダより高いものはない

先日クレジットカード会社経由で、エステティックサロンから無料お試しの勧誘が届いた。

通常であればこの手のお知らせはスルー。

だって、無料体験のあとには、高額で長期間にわたるプランを、鬼のようにしつこく売ろうとするセールスが待っているはずだから。

そりゃそうだ、サロンにとってはそれが仕事。

利益率よく、定期収入を得るためのキャンペーンなのだから。

 

しかし、わたしは疲れていた。

癒されたい。買う気はあまりないけど、買わなきゃいけないわけではない。

そう考えてしまった。

そして試して実際気に入らなかったので断った。

断ったけどなかなか引き下がらない。

どうして? どうすれば契約してくれるの? どこをどう設計しなおせばお金出す?

ここまで露骨には言わないけれど、こんな感じで攻めてくる。気持ちはわかる。

気に入らないポイントを言いたくなかったので、ぼやかして断っていたが、是が非でも引き出そうとしてくるので、結局言うしかなくなった。わたしにとっては、「ないわ~」と思うポイントである。

 

お断りできたことは良かったけれど(納得してくれた)、相手にとってうれしくないコメントを言うことは気が重くできれば避けたい(恋愛かよ)。

しかし無理だった。

対面営業のあり方、わかっているようでもご無沙汰だったから忘れてしまっていたんだろう。

弄んだわけでもないのに、断ればこちらが罪悪感もたされてしまって、結局、タダより高いものはないと思い知る羽目に。

 

営業は恋愛と同じ

 

とくに疲れている時は判断が鈍るもの。肝に銘じておこう。

サブスクのお試し無料みたいに「やっぱり要りません」とはいかないね。

「見るだけ」「試すだけ」の類のお誘いであっても、よほど購買意欲が高いときしか試すもんじゃない・・・

みなし陽性

体重が第一目標としていた数字に到達した。

これはたいへん喜ばしいことである。

何年ぶりだろう50キロ代を記録するのは。。いえ、目視では60.4キロ。

着衣のままで測ったので、これは59.9キロとみなす。(着衣では0.5キロ引いて考えることにしている。セコイけどいいの。)

ポジティブに考えよう。

中身は大事だが、数字も大事だ。

みなし50キロ台ということで、見事、目標達成!!

 

一日2食ダイエットを続けたので、途中までは間違いなくその成果だ。

しかし最後の一押しはダイエット効果ではなく、やつれ・・・消耗である。(-_-;)

第7波にのまれてしまった。

息子からの濃厚接触からの「みなし陽性」。

ちなみに二次感染を被ったのは、家族の中でわたしだけだ。なんて不運。

 

息子はすぐに回復したので薬が余っている。

わたしにもそれを使うよう指導されたので、わかりました、と電話を切った。

医療機関には極力来るなということだろうし、わたしもめんどうだと思ったのでありがたかった。

しかし、薬を飲むときになってドキッ!! え、カロナール500ってなによ!? 

そんなの処方されたことないけど。

ワクチン接種の際、わたしに処方されたのは、カロナール「300」だった。

 

 

そうだ、息子はデカいから「500」なんだ。

それわたしが呑んでも大丈夫なんだろうか? 調べるのも億劫だし、とりあえず頭痛をなんとかしたい。大丈夫なことにして服用した。

 

効いたかどうかはよくわからない。

「500」でも頭痛は消えなかったし、のどもまだ少し痛い。

しかし、消耗からは脱出した感あり、他の不具合は出なかった。

 

今日になってググってみると、1回分としては心配なさそう。

以下、参考まで。

medical.nikkeibp.co.jp

 

知人から、味覚障害防止のため亜鉛サプリを摂ったほうがよいと言われたので、一日一錠摂ることにする。

もうしばらく隔離生活しなければならない。

ヒマだし、動かないし、一瞬で体重が戻りそうだが、何とか50キロ台にかじりついていたい。

 

夏のお風呂問題

わたしは冬は熱い湯船に浸かりたいけれど、猛暑のこの時期はシャワーで十分と思っている。

シメは冷水シャワー、とくに頭部を冷水シャワーすると一気に野生が研ぎ澄まされるような錯覚があって気分がいい。水道代・電気代が減って経済的だしエネルギーの節約にもなっていいことづくめ。

しかし、中には夏でも熱い湯船で長風呂したい人もいる。

他に一年中シャワーのみという人あり、また、どっちでもいい、どうでもいいからもめないで、という人も。

3日に1回お湯あり、とか妥協点をいろいろ試したりしている。

家族の中でもお風呂の好み一つとってもいろいろなんだよね。

あと、エアコンの設定温度、朝ごはんのいるいらない、晩御飯のいるいらない、夏休み中は昼ご飯そうめんでいいか、などなど。

家の中の民主主義しんどいわー、絶対王政やったろうかな。

夏休みが始まって間もないのにもう疲れてきた。

 

 

大いなるアーティスト

昨日の夕刻。

海、空、ほぼ同じ方角です。

2時間くらいの間で太陽の高さは確実に変わり、空の色が変わり、そのどれも素晴らしかった。

この世には美しいものがたくさんあるけれど、絶対的な美というものがあるとすれば、自然の美しか考えられない。

海風が涼しいと感じるくらいの過ごしやすい気温。長い幸せな夕べに感謝。

 

 

生徒と先生の関係

高校生と先生の関係性はどういうものだろうか。

子どもが先生とそりが合わないのも心配なものだが、わたしはうちの子が先生と仲が良すぎることに違和感を覚えている。

しかし、自分の高校時代のことは完全に忘れてしまっている。覚えていたところで、あまりに古すぎて参考にならないだろう。

 

趣味が合うとは言ってもそこは教師と生徒だ、いっしょにオンラインゲームしたりするものだろうか? これはまだかわいいとして、学校帰りに食事に行ったり、夜のビーチで遊んだり。気が合うとは言ってもそこは教師と生徒だ、けじめというものがあるはずだろうと思うのだが。だいたい遅い時間だし。

帰りが遅くて連絡がない、心配する家族がいるということに、先生は無頓着なんだろうか?

ふつう、遅い時間に高校生を車で連れまわす大人の知り合いがいれば、親としては警戒心を覚えると思う。

前から予定していた、というのでもなく、いつも急に、そしてわりと頻繁にそういうことがある。

先生だからよいの? 同性だからよい? 高校生ってそういうものだっけ? 心配は募る。

うがった見方なのだろうか? うちの子は反抗心も敵対心も強い。そんな彼のよき理解者かもしれない。不審に思うより感謝しなければならないのでは? と心配する自分にブレーキをかける。

 

その先生は担任ではない。

仮に卒業後に恩師と友人のようになるというのであれば、まだ頑張って理解するだろう。でもうちの子は現役の在校生だ。やっぱり違和感がある。学校的にはこういうのOKなんだろうか?

子どもからもっと事情を話してくれれば、もう少し安心できるかもしれない。

でも反抗期強めの彼はそうしない。まるで、自分から歩み寄るのは負けだとでも思っているみたいに。

 

時節柄、もうすぐ担任と保護者の二者面談がある。担任との面談の後、その仲良し先生から追加の面談の打診が子供経由であった。

わたしはその人を、学校の教員として見ればいいのか、子供の遊び友達として見ればいいのか、未成年者を連れまわす人として見ればいいのかわからない。明らかに子供にとって大きな存在になっている人、しかし少なからず家族関係に波風を絶たせている人との面談に、どういう立ち位置で臨めばいいのか、悩む。